幼なじみのジャックとカレンは、愛と希望に満ちた未来を夢見て結婚しました。ジャックは一流法律事務所での仕事を得て、経済的には恵まれたスタートを切りました。しかし、順風満帆に見えた二人の生活は、次第に暗雲に覆われていきます。
仕事に追われるジャックは、ストレスから浪費癖に陥り、外食や衝動買いが増えていきます。さらに、予期せぬ病気による入院費が追い打ちをかけ、借金は雪だるま式に膨らんでいきました。経済的な不安は二人の関係にも影を落とし、会話は減り、笑顔も消えていきました。
必死に状況を改善しようと努力しましたが、状況は好転せず、ついに二人は自己破産と離婚という悲しい結末を迎えてしまいます。
ジャックとカレンの物語は、私たちにとって他人事ではありません。多くの人が、お金の問題で悩み、苦しんでいます。
では、どうすればお金と健全な関係を築き、真に豊かな人生を送ることができるのでしょうか?
聖書は、お金の問題の根底には、心の問題が潜んでいることを教えています。私たちは、物質的な豊かさや世間の評価に心を奪われ、真の幸福を見失いがちです。
マルコの福音書4章19節で、イエス様は「この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません」と警告しています。
お金自体は悪いものではありません。しかし、お金に執着し、神様よりもお金を優先する時、私たちは真の満足を得ることができなくなります。
ルカの福音書12章では、イエス様は欲張りな金持ちのたとえ話を用いて、物質的な豊かさに溺れることの愚かさを説いています。
この金持ちは、豊作に恵まれた自分の畑を見て、さらに大きな倉を建てて財産を蓄えようとします。そして、「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」と、自分の快楽のために財産を使おうとします。
しかし、神様は彼に言います。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」
このたとえ話は、私たちに重要な教訓を与えてくれます。それは、「神に対して富む」ことの大切さです。
「神に対して富む」とは、単にお金をたくさん持つことではありません。イエス様との関係を第一とし、信仰に基づいた生き方をすることです。神様から与えられた恵みに感謝し、それを周りの人と分かち合い、困っている人を助けることです。
真の豊かさは、物質的な豊かさではなく、神様との深い信頼関係から生まれます。
では、具体的にどのようにお金と向き合えばよいのでしょうか?
聖書は、衝動買いを避け、計画的にお金を使うことの大切さを教えています。高額な買い物をするときは、本当に必要かどうか、夫婦でよく話し合い、祈り求めることが大切です。
また、マタイの福音書6章19-21節では、イエス様は「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。自分のために、天に宝を蓄えなさい。」と教えています。
地上に蓄える宝は、やがて朽ち果ててしまいます。しかし、天に蓄える宝、つまり、神様との関係、信仰、善行などは、永遠に価値を失うことはありません。
お金は、私たちの人生を豊かにするための道具です。しかし、使い方を間違えると、私たちを不幸に導く危険性も秘めています。
神様を中心とした生き方をすることで、私たちは、お金の誘惑に打ち勝ち、真に豊かで幸せな人生を送ることができるのです。