男性がQT(クワイエットタイム)につまずく原因とは何か?

男性がクワイエット・タイムにつまずく原因は主に3つある。一つ一つ見ていく。

原因1:QTの持ち方を誰にも教わった事がない。QTは指導され、成長し、支えられる必要がある「スキル」である。

※QTはクワイエット・タイムやディボーションとも言われます。


以前、クワイエット・タイムのABCについて紹介した(過去の記事<神との時間「QT:クワイエット・タイム」をより充実させるEMAW流のQT術とは?>(https://emaw.jp/qt/)を参照)。クワイエット・タイムをするために、「黙想」「質問法」「聖句の自分の言葉への言い換え」などを学ぶ必要がある。これらの方法はいずれもスキルである。磨けば磨くほど、クワイエット・タイムはますます効果を発揮する。このスキルの習得のために忠実に努力する、腕を磨く、知識を吸収する、新しいことにチャレンジする、小さなことにも手を抜かないのが重要である。それは私たちを祝福に導くための準備である。

「斧が鈍くなったときは、刃を研がないならば、もっと力がいる。しかし、知恵(スキル)は人を成功させるのに益になる。」(伝道者の書10章10節)

原因2:悪魔があなたに実りあるクワイエット・タイムを持たせたくない。


自分が日々戦場にいることを知らないクリスチャン男性があまりにも大勢いて、敵から奇襲を食らってしまっている。敵の攻撃を受けて死んでしまったりしたら、それこそ教会をはじめとする全体の士気に関わってくる。

真っ赤に燃える炉の中に鉄の塊を入れる。しばらく経つと黒い鉄が真っ赤になって、火と鉄の区別がつかないほど赤くなる。これでさらに温度を上げていくと、この真っ赤になっていた鉄が、やがて黄色っぽい、緑っぽい色に変わってくるというのだ。そして、真っ赤な鉄が山吹色の鉄に見えてくるそうである。これが最高度に温度が上がっている状態である。この山吹色になっている鉄の塊を取り出して、これを打ち叩く、打ち叩く、打ち叩く、そして不純なものを出していく、不純なものを出していく。また、炉に入れて山吹色に変色するまで温度を上げる。これを取り出してさらに打ちたたく、打ちたたく。

こうやって日本刀の素材、玉鋼という最も鋭く鋭利な金属が出来上がってくるのだそうである。
これは長い歴史の中で何度も何度も試してみて試してみて試してみて最後に行き着いた山吹色に変わる瞬間まで待つ。そしてこれを打ち叩いて不純物を取り除いて純化させる、純化させる、純化させる。こうやって、何人を切っても、何人の骨をぶっ切っても目こぼれもしない恐ろしいものが生まれてくるのだそうである。


おそらくヨーロッパの歴史の中でここまでの傑作というものはないのではないかと思う。中国の歴史にそういうものがあるかはわからない。日本刀というのは見るからに冷たく、美しい、最高級の作品だと思う。見る機会はないと思うが。長宗の名刀がある。他にどんな名刀があるかについては私たちは知らなくて良いわけだが、刀を扱う人たちというのはすごく霊的なものを感じるそうである。それは名刀と言われるものほど歴史を持っているから。一回も使われていない名刀というのもあると思うが、取引される刀というのは何人の命を奪うために使われていったかわからない。だから刀を扱うビジネスは霊的な戦いが必ずついてくるそうである。怨念というか、悪い霊が漂う。(読者はくれぐれも刀の商売に手を出さないように。)鍛錬。練られた品性に進んでいく。

ローマ5章3節-5節「それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

患難、忍耐、練られた品性、そして希望に至る。このようにして神が私たちを練り上げてぶち叩いて不純物を取り除いて主イエスの似姿に向けて聖化を進めてくださる。クワイエット・タイムをすることで、私たちは以上のプロセスを通ることになる。

原因3:クワイエット・タイムに対してアカウンタビリティ(責任を負い合う関係)を持つ人がいない。


あなたはどのように自分の信仰、あるいは信仰生活を養って、導いているか。例えば「教会に行ったら信仰生活ができる」という話なのか、あなたが自分の信仰生活、信仰の歩み、クリスチャンライフを形成しているこれだというものはあるだろうか。色々あるだろう。例えば奉仕がある。奉仕が大切だということはほぼ全てのクリスチャンの共通認識である。

奉仕をするとは、仕えることと従うということである。クリスチャンの人生で仕えるとは従うことであって、仕えられることではない。クリスチャンライフの一番大切なことは仕えることである。それを学ぶのが奉仕である。よく欧米では、”spiritual formation”という用語で自分の霊性を形成する、霊的な生活を形成するという本で溢れている。まさしくクリスチャンライフを形作っていき、それが形作られるというテーマを扱っている。

何によって自分の信仰生活が導かれるかによって、霊的に勝利するのか敗北するのかが決まってくる。私たちは常に霊的な戦争の只中にいるため、神との一対一の時間を深めることによって信仰生活を勝利へと持っていかなければならない。

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